渡部民依 Tamii Watanabe
SOMETHING
4 EYES STUDIO
ニューヨークの旅人
NYの旅人
1998年私に起きたとても悲しい出来事。そして........
2002年 私が始めて3ケ月間住んだこのニューヨークのアパート。
ニューヨーク マンハッタンの下町のこの部屋。翌年も6ケ月住んで.......
それから毎年 3ケ月〜6ケ月......この街に住んで.....
ただ映像だけを追いかけ
私は自分自身を取り戻したのだ。
ニューヨーク 孤独と背中合わせ......
とてつもなく自由な街。
多民族な街なのに案外平安を保っていること.....
.......私はいつも驚く。
ジョセフの部屋
アメリカ人のジョセフから私は3ケ月間この部屋を借りた。
彼は画家だ。この部屋を見に行った時、数枚の彼の作品が.....
ほど良い位置にかけられていて、彼の絵のつむぎ出す.......
不思議な色合いと......焚いていたキャンドルの匂い。
彼の部屋には私が漠と求めていた......
ニューヨークのアーチストの香りがあった。
私はすぐにここに住むことを決めた。
彼の妻はフランス人のマリー。彼らはニューヨーク&パリで半々の
生活をしていた。
ここはマンハッタンのローアイーストサイド。ラドロー通りに面して
いて、歩いてイーストビレッジまで5分チャイナタウンには15分くらい。私のニューヨーク生活はこの場所から幕が開く。
洗濯に通ったランドリーはこの部屋の前にあってそこの小さな売店
のクリームチーズを挟んだベーグルとコーヒー。1ドル50セント。
安いのに凄く美味なこの品々は私のニューヨーク生活に 欠かせない
ものとなった。まもなく私は隣室に住むアンジェラと挨拶を交わす様になり彼女の部屋へと招かれた。
アンジェラ
アンジエラの部屋に入ると、2匹の猫がお出迎 え。入ったらすぐキッチン、リビングにドンと白い大きいかっこ良いバスタブ。とても面白い。彼女はニューヨーク生まれでご両親はドミニカ共和国からの移 民。仕事は庭のデザインや顧客の植木の管理をしていると言う。彼女はすでに両親を亡くし妹夫妻と甥と友人たちが彼女の大切なものと見受けられた。まもなく 彼女と音楽ライブに行ったり食事に行ったり、親しい友人になっていった。200年ぐらい経っているらしいと言う、エレベーターの無いマンハッタン、ローア イーストサイドの5階建てのアパートの階段を彼女が自転車を肩に担いであがって来る。中年の女性だけれどいっもとてもかっこ良い、英語が話せない私は間も なく、ニューヨーク州が移民の人のために図書館で開いている無料の英会話クラスに抽選で当たり、学びに出かけた。ヨーロッパ、アフリカ、アジアなど18人 のクラスで13人総てが違う国だったその時、凄い、この多民族さ、これぞニューヨークとしみじみ感じた。アンジェラを始めニューヨークの人々は自分の老後 がどうとか、将来がどうとか、言う人が少ない様に見受けられた。今を生きている彼らと共有した充足感のある時間、私の気持ちは解放され自由の心が羽ばたい た。間もなく私はシカゴの友人宅に出かけ、帰宅、大きいスーツケースを階段の下で持て余ましていたら、背の高い奇麗な顔立ちの若者が階段をトントンと下り てきて「僕が運んであげるよ」とさっと鞄を持ち上げ4階の私の部屋に運んでくれた。彼は5階に住む画家で名がエリ、その事がきっかけで彼のショーを観に 行ったり、部屋でのパーティなどの交流の日々が始まった。彼はブラジル出身だ。彼が後にホイットニー美術館のビエンナーレを得て、ヨーロッパの美術館や日 本の東京現代美術館に招待されるアーチストになるとはその時まだ私は知らなかった。